2007年08月06日
「機械との対話」というのりしろ
うちの駐車スペースは、午後2時を過ぎると建物の影になるので、
風が通っていれば真夏でも結構涼しい。こういうとき、ガーデン
チェアを持ち出してクルマのそばで過ごしたりする。特別に何を
するわけでもないが、ホイールを磨きながらブレーキディスクや
タイロッドを観察したり、フロントスポイラーにこびりついた
汚れを落としたりしてみる。

クルマ好きが、自分の愛車を擬人化したりすることがあるが、
私はそういうのをあまり好まない。クルマは所詮機械であると
思っているので、クルマに対して名前をつけたり、話しかけたり
などという薄気味悪いことはしない。
しかし機械であっても、機械なりの都合というものはある。その
都合を考えずに扱うと、調子を崩してくる。機械というものは、
調子を崩してくると必ず何らかのサインを送ってくる。熟練の
メカニックでもない限り、我々素人がそのサインに確実に気づく
ことは難しいが、乗らないときでもこうやってクルマと過ごし
ていると、直感的に何かおかしいな、というサインを感じ取れ
るかもしれない。
クルマだけでなく、ボートで海へ出る時、特にそれを感じる。
海でボートが調子を崩すと、即「遭難」ということになるし、
荒れてきたら、ボートやエンジンに対する信頼感がなければ
精神的に参ってしまう。だから、たとえそれが自分の物では
ない借り物のボートであっても、絶対にいい加減な扱いはし
ない。
機械と人間の関係って、こういうのが理想だと思う。こういう
対話を経て、機械に対する信頼感と愛着が生まれ、自分自身が
主体となってきちんと機械を扱おうとするし、扱うのが楽しく
なる。クルマを含めて、最近の機械は正確無比すぎて、対話の
余地がなくなっている。機械というものは、少しぐらい、のり
しろを残しておく感じで作るのがいいのかもしれないね。
風が通っていれば真夏でも結構涼しい。こういうとき、ガーデン
チェアを持ち出してクルマのそばで過ごしたりする。特別に何を
するわけでもないが、ホイールを磨きながらブレーキディスクや
タイロッドを観察したり、フロントスポイラーにこびりついた
汚れを落としたりしてみる。
クルマ好きが、自分の愛車を擬人化したりすることがあるが、
私はそういうのをあまり好まない。クルマは所詮機械であると
思っているので、クルマに対して名前をつけたり、話しかけたり
などという薄気味悪いことはしない。
しかし機械であっても、機械なりの都合というものはある。その
都合を考えずに扱うと、調子を崩してくる。機械というものは、
調子を崩してくると必ず何らかのサインを送ってくる。熟練の
メカニックでもない限り、我々素人がそのサインに確実に気づく
ことは難しいが、乗らないときでもこうやってクルマと過ごし
ていると、直感的に何かおかしいな、というサインを感じ取れ
るかもしれない。
クルマだけでなく、ボートで海へ出る時、特にそれを感じる。
海でボートが調子を崩すと、即「遭難」ということになるし、
荒れてきたら、ボートやエンジンに対する信頼感がなければ
精神的に参ってしまう。だから、たとえそれが自分の物では
ない借り物のボートであっても、絶対にいい加減な扱いはし
ない。
機械と人間の関係って、こういうのが理想だと思う。こういう
対話を経て、機械に対する信頼感と愛着が生まれ、自分自身が
主体となってきちんと機械を扱おうとするし、扱うのが楽しく
なる。クルマを含めて、最近の機械は正確無比すぎて、対話の
余地がなくなっている。機械というものは、少しぐらい、のり
しろを残しておく感じで作るのがいいのかもしれないね。
